「奏」父親になって思うようになったこと。

スキマスイッチの名曲「奏」

私は学生時代この曲に出会ったときはあまり深い意味を考えたことなかったんですよね。
どちらかというと「ボクノート」とか「ガラナ」とか好きで聴いていた気がします。

アニメのED曲でカバーされたり色々なところで流れる曲なのですが、
この曲の解釈として恋人同士の別離だというのが主流なようですね。

私も漠然とそんな風に思っていました。

歌詞冒頭…

駅の改札の前…変わらない雑踏の中で
変わってしまうのは二人の関係。
見送る時は笑顔でいたかったのに…

季節の変わり目、若い二人が離れ離れになるシチュエーションとしては大学進学でしょうかね。

大人になって行く「」…

大学生から社会人になる方が事実としては大人になっている度合い高い気がするのですが、
高校生から大学生になるために地元を離れる不安と喜びの方が強く感情を動かされた気がします。

想いの中、電車の発車のベル。 
迫る別れの時、焦りの中繋いだ手を解かなければならない。

抱きしめ、想いを伝え…別れる二人。
遠く離れても二人は繋がっていける。

切ない歌、でも決して悲しくはない前向きな歌だと思います。

ある日ふと感じたこと…

君が僕の前に現れた日から何もかもが違く見えたんだ

 以下歌詞引用部 全作詞・作曲・編曲:スキマスイッチ
2004年「奏」より引用

私にも子供が生まれ、ある日突然この歌の歌詞が今までと違く見えてきました。

君が大人になっていくその季節が

子供の成長は早いもので、5歳にもなるとどこから覚えてきたのかも分からないような言葉を使って驚かされることもしばしば。

君の手を引くその役目が僕の使命だなんてそう思っていた

親として子供の手を引いて導いてあげなくてはいけない、まさしく使命だなんて思っていましたが、
不意に子供の成長を目の当たりにすると、私が全て手を引く必要なんてない、 
この子達は自らの力で育って行くことは出来る。

重ねた日々が導いてくれる…
親子の時間を共にして愛情を注いであげてさえいればきっと十分なはずだと。

朝も光も涙も歌う声も君が輝きをくれたんだ

子育ては決して楽ではなく、毎日がキラキラしているなんてことはありません。 
でも、何気ない事に喜びを抱くことが出来るようになったのも事実なわけで、
娘の5年間と息子の3年間を思い返すだけで胸にこみ上げてくるものがあるのに…
十数年分の思いを馳せる時…どれだけの物がこみあげてくるのでしょうね

もう一度この歌のテーマに立ち返って…

旅立ちの日、駅のホーム…

今まで一緒にいるのが当たり前で、
ずっと親として子供の事を引っ張って来ていると思っていた。

君が悲しい思いをしないように…元気でいてくれるようにと見送る側も不安に襲われ、 
さよならじゃなく、何か、何か別のことを伝えたくて焦る気持ち。

一生懸命言葉を紡ごうと悩み、思い出を探っているとふと思い出す。
君と共に過ごした時間が思い出が、君を、僕を成長させてくれていたことに。

刻々と迫る別れの時、発車のベルが鳴り、歩みだす君。

最後に伝えられる言葉はみつからなかったけど、不器用な僕には抱きしめる事でしか愛情を伝えられなかった…

電車が行ってしまいっても溢れ出てくる君との思い出。

君が遠い街に行ってしまっても、どんなことがあっても変わらない。
僕らはどこにいても繋がっていると。

家族のつながりについて

歌詞の途中で声で守るという表現があるのですが、
「歌声」とは書いてないんですよね。
歌の中で言われてるからこの歌のことかなとも思ったのですが…

一人暮らしで辛いときや人生の岐路に立たされた時、
自信を失って諦めそうになった時に、
失敗しても帰ることが出来る場所がある、家族がいるってことは
次の一歩を踏み出す勇気や、それてはいけない方向へ踏みとどまらせる力になると思います。

どんなに離れていても、すぐに「繋がる」ことが出来る時代です。
手軽さ故に本来一番繋がりの深い人たちのことを疎かにしがちなのではないでしょうか。

ほんの一言でもいいから、
声を届けることで家族の繋がりを確認し合えたら…